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Channel: 劇団ユニット・ラビッツの稽古場日記
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紀子の勝手に過去の作品を観て感想を言うのコーナー

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みなさ〜ん!こーんばーんはーーー!! (こーんばーんはーー) レスポンス 突然始まりました。 「紀子の勝手に過去の作品を観て感想を言うのコーナー」 です! えーっとですね、昨日、郡山に暴風警報が出ていまして、風がすごかったんですね。 もう、家が揺れるくらい。 音もすごいの。怖いの。 でね、私のりこは、あまりの風の怖さに、 「それよりも勝る怖さを自分に与えよう!」 と、 「過去の自分が出ているユニラビの作品を観る」 という恐ろしい暴挙にでたわけですね。 そしたら…… 意外と面白くて(笑) それなら、その頃のお芝居を観ていなかったこのブログの読者さまにもこのお芝居ををお伝えしよう! と思い立ったコーナーでございます。 うん、一回で終わるかもしれないから、覚悟してね(°▽°) ラジオDJ風に始まっちゃったこの感じ、覚悟してね(°▽°)(°▽°)(°▽°) 今回は、 2013年に郡山市民文化センターで上演した 「赤の大地、白き風 ーThe last interview with HIDEYO NOGUCHI ー」 ユニラビが東京などで公演させて頂くようになる前の作品でーす。 日本語のタイトルで絶対に分からないと思うんですけど、サブタイトルとチラシを見るともう、観る前から 「あ!○口○世の話なんだな?」 と丸分かりの作品です(笑) この作品は、2011年の本公演として準備されていましたが、震災によって上演できなくなりました。 野口英世は死の直前、外の風景を見たいと言ったんです。 あれだけ情熱をささげた黄熱病研究の、功績と、栄誉。 そして覆される学説と、失われつつあった権威。 黄熱病を世界一知る男が、 何百万枚のプレパラートを見続けた男が、 黄熱病に負けようとするその直前、 何を見たかったのか。 それがテーマでした。 劇団員はやる気まんまんで稽古していました。 でも、震災があって。 「こんな芝居、できないよ」 となりました。 今、自分達が死にそうな時に、偉人の死の直前なんてやれないよ、と。 これだけの方が亡くなっているのに、誰かが死んでしまう芝居はできない、別の事を必ず想起させてしまうよ、と。 自分達が、空を美しいと思えないのに、空を信じる芝居なんてできないよ、と。 福島県民が避難で散り散りになっているのに、最終的に福島に戻って来られなかった人間の芝居なんてやったら、希望がなくなっちゃうよ、と。 観に来てくださるお客様の事はもちろん、自分達の事を考えても、2011年にはできなかった芝居でした。 団長の佐藤茂紀は、かたくななまでに上演を拒否していました。 でも、2012年。 副団長の佐々木雅彦が、 「やろうよ」 と。 今だからこそ、やろうよ。 散り散りになっちゃったからこそ、やろうよ。 空は汚れてしまったかもしれないけれど、心の中の空まで汚されたくはないからやろうよ、と。 まだまだ避難生活を余儀なくされている人はたくさんいるけれど、日本中にいるけれど、空は繋がってるよ。 英世の亡くなったガーナの空も、故郷の猪苗代の空も、繋がってるよ。 そして、郡山市民文化センターの復旧工事が終わり、劇場が使えるようになって一番最初に劇場で上演したのがこの作品です。 それまで、どこでも上演出来るように、音響・照明・美術にほとんど頼らない芝居を創って、 実際に街のイベント会場や、廃ビル、イトーヨーカドー郡山店さんのエントランスなどでもう、ゲリラ的に(許可は取ってありますw イトーヨーカドー郡山店さん、その際は本当にありがとうございました)上演していたので、 照明とか、映像とか、音響とか、吊りものとかを効果として使えて、それによる場当たりとかが、本当に、本当に久しぶりに出来た公演でした。 そして、実際に劇場のグランドピアノを使って劇中の音楽を盛り上げたりしました。 この作品、すごいのが、 「野口英世を描いているはずなのに、一度も日本が出て来ない」 (°▽°) 南米、ペルー、アフリカ、アクラ、ガーナ、アメリカ、ニューヨーク と、転々と舞台は変わるのに、 日本は出ない(笑) サブタイトル通り、last interview なので、インタビューする人、新聞記者、カメラマン、野口英世の友人、研究室の同僚、研究を貶めようとするライバル、共に4人まとめて結婚したという親友そして妻、ピアニスト…… 色んな人が出てくるのに、誰一人、日本人が出て来ない(笑) 野口英世の話であれば、絶対に出てくるであろうはずの、母シカも、 出て来ない(笑) 野口英世の話で、ここまで徹底的に日本を避けて描かれた作品はないんじゃないかなぁと思います。 それはね、みんな、帰れなかったから。 帰りたくとも、帰れない切実な現実があったから。 すごい演出ですよ。 佐藤茂紀は 「いいか、難しいぞ。 舞台は全部外国だ。日本は一切でない。 でも、いいか、常に舞台に福島がある。 生まれ育った場所がある、風景がある、匂いが、温度がある。 けれど、福島は舞台にない。」 と言いました。 だからかな。 今見るともちろん荒削りな所があるんですけど、 想いがすごい。 お客様も、笑って、泣いて、想って、泣いて、そして、劇場に入る時よりほんの少しだけ、スッキリした顔になって、笑顔でそれぞれの家に帰っていく。 そんな作品でした。 どこか傷付いているはずのお客様に、どこか寄り添えたような、そんな芝居でした。 やる前はすごく怖かったんですけどね。 誰かが傷付くのが、自分達が誰かを傷付けてしまう事がとても怖い時期でした。 帰りたくとも、帰れなかった。 分かりたいけれど、分からなかった(野口英世の最期の言葉は「僕には分からない」でした)。 助けたいけれど、助けられなかった。 そして、なによりも自分が、本当は助かりたかった。 そんな想いが詰まった作品でした。 そして、色んな人を(ある人にとっては衝撃的に、ある人にとっては確実に、そしてほとんどの人にとってはそっとほんの少しだけ)守ったり、助けたりできました。 ずいぶん、あれから時間が経ったけれども、 まだ帰れない人はいて。 (この作品上演直後、福島から避難して来ている方が多い県外の自治体から、再演のお願いや、避難している人に見せたいからこの芝居を持っていきたいというお話がたくさんあり、すごく嬉しかったのですが、結局色々な事情で叶いませんでした) 私にも、まだ分からない事だらけです。 はい、癒し画像の、紀子の愛兎のとんちゃんでしたー(芝居関係なし!) ちなみに、唯一、日本人で登場した、野口英世役の佐々木雅彦は、床屋さんに行って、1000円札をだして、この髪型にしてくださいと言ったそうです。 びっくりするくらいそっくりでした。その床屋さん、すごいと思いました。 いや、もうほんとそっくり。怖いです。 そして、私のりこは、日系ペルー人の新聞記者と、英世の妻メリー・ダージスの二役でした(そしてこの二人一役というキャスティングでしかできないことをします)。 この公演の一ヶ月くらいに手術をしていたので、入院中なんとか体力を落とさないようにと、病院の手すりを使ってバーレッスン気取りの柔軟をしていたのですが、まだお腹からドレーンが出ていた時にやったら、「大丈夫ですか!?」「何かあったんですか!?」「動けなくなりましたか?!」とナースさんに駆け寄られ、「柔軟を…」と言ったら、やんわりとしかし確実にたしなめられました。 ナースさんのたしなめ力はすごいです。 カメラマン役で、佐藤茂紀がキャストとして久しぶりに舞台に立った作品でもありました。 カメラマンに集中し過ぎて、写真を真剣に取るあまりに、自分に台詞があるという事自体を忘れてカメラのファインダーを覗いていたので、明らかに 「次、しげさんの台詞だよ」 という写真があります(笑) こちらです! 臨場感が伝わりますね(°▽°) しげさんはこの公演で写真の腕があがり、カメラに凝るようになってしまいました。 しげさんの凝り性もすごいと思いますが、そのカメラ…今どこにあるのかな…という凝りからの離れ具合もいっそ気持ちいいです。 さて! 今回のコーナーはこれでしゅーりょー♡ なんだか見てみたくなっちゃった方…… ……こちらの作品は物販していないんです(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) ですが、劇団に入団すると見られます・:*+.\(( °ω° ))/.:+ この作品を見てみたい!! その動機だけの入団も歓迎ですが、一緒に創った方が楽しいですよ…☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ というわけで、自由すぎる紀子が、ブログを荒らす感じで、勝手に過去の作品を見て感想を言うコーナーのブログでした! 次回(あるといいね!)をお楽しみに☆ 最後までお付き合いありがとうございます、団員のりこでした!

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